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■明治維新における経済と産業近代化の先覚者、商都大阪を築いた大恩人■
あなたは、五代友厚を知っていますか!?
五代友厚公の精神を甦らせこの精神を引き継いでいく志の連帯を広げていこう
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川口建
2022年10月29日
五代友厚ゆかりの地探索➀特別企画(堺事件を語り継ぐ会会員対象)10月29日(土)実施
本コースは2021年10月16日に続き2回目となる。堺事件を語り継ぐ会のご依頼で会員様を対象に五代友厚ゆかりの地探索を実施。 (堺事件を語り継ぐ会会員18名、Dream五代塾会員2名) 土佐稲荷神社をスタートに木津川、安治川周辺の大阪港開港の地・川口運上所跡、外国人居留地、...
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川口建
2022年1月8日
大阪商業講習所跡 (五代友厚ゆかりの地探索①より)-12(完)
「豆知識」 明治13年(1880)11月に五代友厚が中心となり創設・開所した。校舎は西区立売堀の旧町会所であった。当初の学生は昼間が60余名、夜間部が百余名ほど。 現在は阿波座南公園内の角地に講習所跡碑が建てられている。...
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川口建
2022年1月4日
薩摩堀川跡・薩摩藩蔵屋敷跡下屋敷 (五代友厚ゆかりの地探索①より)-11
「豆知識」 今回の見学地であるこの周辺には薩摩の物産を取り扱う薩摩問屋が数多く集まり、砂糖・蝋(ろう)・煙草・鰹節などのほか琉球産品や琉球を経由する唐物などが運び込まれていたという。この薩摩堀を掘削したのは薩摩屋仁兵衛、鍋屋宗円など薩摩の物産を扱う問屋でした。これを記録した...
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川口建
2021年12月20日
大阪府庁江之子島庁舎跡碑 (五代友厚ゆかりの地探索①より)-10
「豆知識」 西町奉行所に開設された当時の五代友厚は、大阪府判事となり従5位を叙せられた時であり、大阪のトップとして新政府の諸問題に対応していた時期である。1869年には実業界に転するが、終生経済界の先覚者として大阪経済を牽引していたことからして、大阪府とは密接に関わっていた...
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川口建
2021年12月17日
大阪市役所江之子島庁舎跡碑 (五代友厚ゆかりの地探索①より)-9
「豆知識」 見過ごしてしまいそうな小さな碑があるのみです。 年代的に五代友厚とは直接関係がありませんが、歴史の流れや、後に説明する2代目の市役所庁舎の地が五代の時代から繋がっていますので、今回紹介することにしました。 市制特例が廃止された翌年の1899年(明治32年)12月...
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川口建
2021年12月13日
川口基督教会 (五代友厚ゆかりの地探索①より)-8
「豆知識」 本田小学校の前にある川口居留地跡の石碑には、1891年(明治24年)頃の区画図に信愛女学校、照暗女学校、プール女学校、三一神学校、ウイルミナ女学校、マリア女子神学校、バルナバ病院、川口教会などの名前が見える。女子学校が多いのにビックリさせられるが、日本の女子教育...
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川口建
2021年12月12日
川口居留地跡碑 (五代友厚ゆかりの地探索①より)-7
「豆知識」 大阪港開港に伴い欧米人の大阪港への期待は大きく、居留地の初回分譲は慶応4年(1868)7月29日、26区画が競売された。 内訳は、英国人13区、米国人・ドイツ人各4区、フランス人・オランダ人各2区、ベルギー人1区で、平均価格100坪当たり354両、最高価格820...
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川口建
2021年12月10日
富島天主堂跡 (五代友厚ゆかりの地探索①より)-6
「豆知識」 この地は、フランス副領事レックが明治政府に請願して、明治12年(1879)に完成したカトリック礼拝堂で、赤レンガ造りのゴシック様式を取り入れた洋風建築物であった。 場所的には、川口運上所(大阪税関)の斜め向かいにあった。現在は川口聖マリア幼稚園となって当時の教会...
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川口建
2021年12月8日
川口運上所跡「大阪税関」(五代友厚ゆかりの地探索①より)-5
「豆知識」 五代才助(友厚)は慶応4年(1868)1月23日、徴士参与大阪外国事務掛で大阪着任した。2月20日には大阪外国掛判事となり、川口運上所の運営を任された。(後の税関) 川口は安治川と木津川の交点にある地区で、正式な開設は5月1日。...
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川口建
2021年12月7日
大阪港開港地跡 (五代友厚ゆかりの地探索①より)-4
「豆知識」 慶応4年(1868)7月当時の横浜に輸入する商品の1/3以上が大阪に輸送されるので、大阪での直接取り扱いの要望が多かったが、大阪は皇都に近く警戒の必要性がから、開港でなく単に開市となっていたが、7月15日には外国の要望も強く開港とした。以来運上所は関税の外、大阪...
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川口建
2021年12月6日
若き薩摩の群像(鹿児島中央駅前)
欧州視察・留学生総勢19名の銅像が2020年9月に揃った。 昭和57年3月に群像が建立された時は17名であったが、今回、高見弥一(元土佐藩士)と堀孝之(長崎通詞)の2名が加えられた。 私は新しくなってからの初めての訪問となります。今回の設置と同時に全体もきれいに洗浄され、「...
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川口建
2021年12月5日
鹿児島での五代友厚の人気度?
11月28日から2泊3日で鹿児島を旅行した。以前は五代友厚の認知度はあまりないように感じていたが、色んな場面で五代友厚の名前が見受けられた。 少し古いが、2017年の人気度アンケートの新聞記事が有った。流石に西郷隆盛はダントツの1位で、篤姫、島津斉彬、大久保利通、小松帯刀、...
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川口建
2021年11月19日
旧松島遊廓地 (五代友厚ゆかりの地探索①より)-3
「豆知識」 土佐稲荷神社見学後、長堀通を木津川方面に歩き伯楽橋を渡った右手に松島橋がある。その公園に当時の松島橋の標識(どういう名前?)と長谷川貞信の「浪花百景」に描かれた松島遊郭の碑がある。橋は大きく反り返ってり、帆船が通行できるように造られている。立派な建物は最初に建て...
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川口建
2021年11月18日
岩崎家舊邸(きゅうてい)跡 (五代友厚ゆかりの地探索①より)-2
「豆知識」 この舊邸跡は元は土佐藩邸であったが、明治に入り岩崎家が譲り受けた。五代友厚が大阪で活躍していた頃は岩崎弥太郎もこの地に住んでいた。 岩崎弥太郎と五代友厚は、ほぼ同年代に生きた。岩崎(1835/1/9ー1885/2/7)は五代(1836/2/4ー1885/9/25...
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川口建
2021年11月10日
「土佐稲荷神社」 (五代友厚ゆかりの地探索①より)-1
「豆知識」 地下鉄西長堀駅集合。最初にコースの全体説明をした後最初の目的地土佐稲荷神社へ。5分もかからず到着です。さて、五代友厚ゆかりの地としてなぜ土佐稲荷神社を選んだのか? 幕末・維新新政府への移行期に国内では大きな事件が続きました。...
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川口建
2021年11月8日
五代豊子の生家「萱野家の墓」 (五代友厚公墓参会資料より)
「ミニ知識」 以前は奈良県田原本町八尾の生家近くの安養寺にお墓があったが、大正5年に長男の森山茂は、弟の萱野真、妹の五代豊子とも相談し、大阪阿倍野霊園の五代友厚墓地に向かって左20mの地に改葬した。従い、現在安養寺には萱野家に関係するお墓はない。...
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川口建
2020年11月20日
五代友厚、大久保利通を案内し富田林寺内町の杉山邸に来た!
11月10日(火)、天誅(忠)組記念館の草村館長主催の「寺内町とその周辺の天誅(忠)組志士達の生家・墓碑等を探訪」するまち歩きに参加した。私は、この地には五代友厚と大久保利通、そして堺県令税所篤が訪れているはずと頭にあった。当日はその痕跡は見つけられなかったが、後日草村館長...
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川口建
2020年10月26日
川口居留地跡 in大阪市西区川口
居留地26区画が外国人に競売され、大阪居留地の歴史が始まり、明治32年に撤廃された。五代は自治管理窓口、要望交渉等を行った。この地域は異国情緒豊かな雰囲気をかもし、ユーカリとゴムと柳5~600本の街路樹、舗装した車道、広いベランダ付きの異人館、ランプの街灯、教会の礼拝の鐘の...
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川口建
2020年10月26日
川口運上所・大阪港開港地跡 in大阪市西区川口
五代は大阪税関の前身である川口運上所の設立と同時に初代税関長に就任。陸奥宗光と共に税関事務と外交事務の一切を行った。正義感と毅然とした態度で国益を守った。また、当時の港は河川港で何の設備もなかったが、毎日3,000人の人夫を使い、長さ83m・幅9mの波止場と水深を深くし、大...
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川口建
2019年12月4日
五代友厚旧自邸の今 in大阪淀屋橋
2019年12月4日、淀屋橋周辺のライトアップ・イルミネーションが綺麗です。 五代友厚は、旧自邸、大阪淀屋橋近辺の繁栄した姿をどう想像していただろうか?
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