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■明治維新における経済と産業近代化の先覚者、商都大阪を築いた大恩人■
あなたは、五代友厚を知っていますか!?
五代友厚公の精神を甦らせこの精神を引き継いでいく志の連帯を広げていこう
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川口建
2021年7月31日
五代友厚展・図録(25)大阪市古地図
大阪市の天保期、明治初期、大正13年の3枚を展示しました。大阪の町の原型・骨格は豊臣秀吉がつくったといわれています。しかし、幕末・維新期に大阪は衰退しましたが、五代が近代的な街として変革しました。自ら行動し、大阪商人を覚醒させ、近代的な産業を取り入れ、現代の繁栄の礎を築きま...
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川口建
2021年7月31日
五代友厚展・図録(24) 五代友厚大阪市内ゆかりの地
大阪市内には五代のゆかりのある地が多くあります。今わかりやすいのが、大阪市内に五代立像が5か所あります。その他ゆかりの地を1枚にまとまましたので参考にまち歩きをしてください。
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川口建
2021年7月31日
五代友厚展・図録(23) 五代友厚のことば
人生の転換期に五代が発した言葉をいくつか紹介します。すべてが、人のため・業界のため・国のため、という考え方が一貫していることに注目しました。
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川口建
2021年7月31日
五代友厚展・図録(22) 東の渋沢、西の五代
渋沢の経済界に残した業績は圧倒的に五代を上回ることで、現代においては資本主義の父といわれ評価されていますが、わが国の経済史学者の間では「東の渋沢、西の五代」が定着している。日本資本主義研究の権威である東京大学土屋喬雄名誉教授は「・・(いろいろ理由を述べ)・・明治実業界におい...
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川口建
2021年7月31日
五代友厚展・図録(21) 大日本高名官員鑑月給・長者鑑
大日本高名官員は明治10年頃の政府の役人の月給を推定し、番付領として表しています。ただし、正確な金額ではありません。西南戦争前に作成されたものですが、維新での功績を評価し、西郷隆盛なども掲載されています。 また、長者者鑑は明治初期と思われますが、豪商・資産家の番付を作成して...
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川口建
2021年7月29日
五代友厚展・図録(20) ナショナル経営資料 随想・織田作之助
ナショナルとは現在のパナソニック株式会社です。この経営資料は昭和17年11月号として発行された社内報だと思います。 日本のトップ企業であり、経営の神様とまで言われた松下幸之助社長が、五代友厚を大阪の恩人であり経営者とし評価し、社内への教育の一環として紹介されたものと判断しま...
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川口建
2021年7月29日
五代友厚展・図録(19) 友人との交遊と寄稿文
一つの事例として、五代が大隈への忌憚のない忠告と、反対に大隈が「明治の先覚者 近代の偉人 五代友厚傳」に五代との友好、功績を寄稿している。また、五代の75周年追悼記念「五代友厚秘史」刊行時には政財界の多くから協賛を得ている。ここではそれらを紹介しました。
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川口建
2021年7月26日
五代友厚展・図録(16) 葬儀<葬列>
1868年10月2日邸内で葬儀が行われ、12時30分に天王寺埋葬場に向かった。一般会葬者は4,800人に達した。棺を囲む参列者氏名、その道順などをパネルで紹介した。
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川口建
2021年7月22日
五代友厚展・図録(15) 半田銀山
地元、桑折町のパンフレットを中心に展示。 五代は奈良県の天和銅山を皮切りに、備前の和気銅山、播磨の大立鉱山を手中に収め、また鉱山統括会社「弘成館」を設立。その過程で半田銀山の採掘もおこなうようになる。半田銀山は、石見銀山(島根県)生野銀山(兵庫県)と並ぶ三大銀山の一つでもあ...
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川口建
2021年7月22日
五代友厚展・図録(14) 天和銅山
五代は民間人となり最初の事業は、明治新政府の新貨幣製造の地金の供給を目的とした金銀分析所の開設である。しかし、造幣寮からの地金の需要が増大し、この状況を打開するため手を打ったのが鉱山事業であった。その最初に手掛けたのが大和国(現・奈良県)の天和銅山で、赤倉銅山、栃尾銅山など...
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川口建
2021年7月18日
五代友厚展・図録(13) 鉱山と製藍事業
新聞記事、雑誌記事、現地訪問写真を中心にした展示コーナー。 五代が自ら中心になって行った代表的な事業。鉱山は26ヵ所を運営し製藍事業は中之島に製造会社を設立し、煙突からは毎日黒煙が立ち上がっていた。 両社ともに近代的な技術と設備、組織運営を要し、日本の産業界の手本ともなって...
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川口建
2021年7月17日
五代友厚展・図録(12) 実業界時代2
新聞記事、雑誌記事、現地訪問写真を中心にした展示コーナー。 この後半のコーナーは、五代という人間のスケール感を感じる記事が多く取り上げられている内容となっています。
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川口建
2021年7月17日
五代友厚展・図録(11) 実業界時代1
新聞記事、雑誌記事、現地訪問写真を中心にした展示コーナー。 五代の携わった事業は、時代に求められた事業や将来を見据えた事業に特化しており、後輩の事業形に大いに参考になった。まさに近代産業の先覚者といえるのではないか。 このコーナーは、民間人の立場で公共的な事業を多く手掛けた...
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川口建
2021年7月10日
五代友厚展・図録(10) 三大渉外事件対応
明治政府の発足と同時に外国事務掛に任命された。五代は精力的に業務を遂行していく中で、例えば、旧幕府軍討伐のための軍備の手配などもその一つであった。資金不足に悩む新政府のため、五代は大阪の豪商たちと交渉を重ねて資金調達をしながら武器や弾薬を前線に送り、大阪港の開港準備も同時並...
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川口建
2021年7月8日
五代友厚展・図録(9) 官界時代
新聞記事、雑誌記事、現地訪問写真を中心にした展示コーナー。 五代の官界時代は約1年半と短い期間ではあったが、外交を中心に明治新政府としての喫緊の課題、日本の国益に大いに貢献したといえる。
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川口建
2021年7月5日
五代友厚展・図録(8) 渡欧使節団と英国留学生
五代の使節団としての成果は多大なものであった。五代は渡欧中、国許の薩摩藩に「献策18ヶ条」を送り、世界に目を向けグローバルに、且つ近代的に国創りの提言をしている。同時に提言した内容に沿って、日本近代産業化の先駆けとなる紡績機械類の調達や武器の購入、及び、おそらく日本で初めて...
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川口建
2021年6月29日
五代友厚展・図録(7) 五代才助上申書と渡航の実現
上申書は13,000語を超える意見具申書となっており、本論の展開は次の3つの主旨に沿って展開されている。(1)上海貿易推進による国益増収、(2)欧州の技術開発による、機械類の内優れたものを採用する。、(3)若手人材育成のため、英国・仏国へ留学生を15名派遣する。併せて欧州視...
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川口建
2021年6月27日
五代友厚展・図録(6) 鹿児島・長崎での活躍
五代友厚は、1868年に上京(京都)を命じられるまでの31年間を、鹿児島・長崎で過ごした。辺境の薩摩藩において既に開明的な思想を持ち合わせ、長崎での延べ11年間でさらに大きく成長した。長崎海軍伝習所の伝習生に選抜され、航海・砲術・測量・数学などを学んだ。また、勝海舟、榎本武...
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