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  • 執筆者の写真川口建

第3回 五代友厚甲子園 挨拶・川口建理事長

更新日:2022年1月9日

五代友厚プロジェクト主催の第3回五代友厚甲子園が開催された(大阪取引所内)

私は「五代友厚への思い」という題で挨拶と、審査員をさせていただきました。

今年は高校生、大学生5校の参加。五代友厚の偉業と志を皆さんが研究し「未来への具体的な提言」を、熱くプレゼンしてくれました。


因みに、挨拶内容は以下の通りです。参考まで。(川口建)

私たちが五代友厚を知ったきっかけは、スリランカの留学生・ネルソン氏の五代友厚の研究からでした。 彼は1971年に34歳で来日しました。

スリランカはくしくも150年前、五代さんが留学生と19名で英国渡航時に寄港しています。島の最南端にあるゴウル港に到着し、岬全体に頑強な城砦、二階建てのコロニアル建築と調和した綺麗な街並みなど、アジアとは全く趣が違い、見るものすべてに大変驚いたと渡航記録にはあります。当時の国名はセイロンでしたが、150年前にはすでに紅茶生産の機械化も進み、1858年には蒸気機関車が走っていたのです。(日本は1872年) 

ご存知だと思いますがセイロンは約150年間イギリスの植民地支配を受けていましたが、1947年に独立し、1972年にスリランカに国名変更した経緯があります。

さて、ネルソンさんの研究の思いは「同じ19世紀にイギリスと遭遇した日本とスリランカというアジアの国が、なぜこれ程までに国力に差ができたのか?」「この差を学びたい」 という一念であったと聞いています。

当時の大阪大学・宮本又次教授のアドバイスで「指導者としての五代友厚」を研究することが最適であると勧められたそうです。その後「五代友厚の研究」を進め1989年に博士号を取得しています。

この論文の中で「五代は、外交、行政、経営など、他の人よりも圧倒的に広い領域で活動し、この根底には、公と私を超越した起業家精神である」とまとめています。

一方「五代は、矢継ぎ早に事業を展開する勢いがあるが、同時に彼の弱点でもあった。なぜならば、五代は物事を始めるのは得意な反面、いくつもの事業を失敗しています。しかしながら、転換期の日本にとって多くの制度設計、ビジネスが未知数の領域であった時代には、長期的に考えてこの失敗も必要であり、そこで得られる経験値自体が当時の日本社会では極めて貴重であった」と近代化の先覚者と評価しています。

これらの五代の行動は、エネルギッシュな人間像が私には伝わってきます。

今、現代を振りかえり、五代さんの起業した会社を探しても、明確には見つけることができません。しかし当時に「近代化のモデル」として日本各地に導入したものが、形を変え、名前を変え、社会に貢献している施設や事業が数多く存在しているのは事実です。

また結果として五代さんの銅像が大阪に何故か? 5体もあります。

いかに五代さんが民衆に慕われ、恩人と尊敬されているかの証ではないかと思います。

今日、これから、皆さんそれぞれの視点で五代研究の成果を発表していただきますが、五代さんの「考え、行動、志」を現代版にアレンジした「未来への具体的な提言」を期待したいと思います。








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