吉崎家の仏壇に保管されていた。友厚の兄・徳夫の次男淳夫が大阪の吉崎家の養子となった。その時に、五代家の貴重な品としてこの世界地図をもたせたのではないかと推測される。
吉崎家では今も吉崎家、五代家を合わせた過去帳を祀っている。尚、鹿児島では父徳夫の歿年月日が不詳となっていたが、過去帳には明治28年12月24日とある。
■明治維新における経済と産業近代化の先覚者、商都大阪を築いた大恩人■
あなたは、五代友厚を知っていますか!?
五代友厚公の精神を甦らせこの精神を引き継いでいく志の連帯を広げていこう
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