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  • 執筆者の写真川口建

大阪市役所江之子島庁舎跡碑 (五代友厚ゆかりの地探索①より)-9

更新日:2022年1月9日

「豆知識」

見過ごしてしまいそうな小さな碑があるのみです。

年代的に五代友厚とは直接関係がありませんが、歴史の流れや、後に説明する2代目の市役所庁舎の地が五代の時代から繋がっていますので、今回紹介することにしました。

市制特例が廃止された翌年の1899年(明治32年)12月、当時初めて市庁舎が大阪府庁舎(江之子島)の北側に設けられた。

市制特例・・・明治22年~明治31年まで三市(東京、京都、大坂)も一般の市も支庁ではなく市会(現市議会)が市を代表した。市会が3人の市長候補を国に推薦し、内務大臣、天皇が1人の市長を裁可した。一方三市は府知事が市の職務を執り行っていた。



その後、1912年(大正元年)に堂島浜に新庁舎が建設された。この地は旧五代友厚精藍所である。


さらに1921年には中之島(現市庁舎の場所)に新庁舎が完成。塔屋までの高さ約56mと、当時は市内最高の高さであった。鉄筋5階建てで、中央にホールがあり、四方に玄関、正面玄関には4本の円柱が立ち、ルネッサンス風の塔は市の象徴となった。

1982年には新庁舎建設のため取り壊され、現在の市庁舎に至っている。1階には「大阪市廳(ちょう)」と書かれた札が展示されている。

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