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  • 執筆者の写真川口建

川口基督教会 (五代友厚ゆかりの地探索①より)-8

更新日:2022年1月9日

「豆知識」

本田小学校の前にある川口居留地跡の石碑には、1891年(明治24年)頃の区画図に信愛女学校、照暗女学校、プール女学校、三一神学校、ウイルミナ女学校、マリア女子神学校、バルナバ病院、川口教会などの名前が見える。女子学校が多いのにビックリさせられるが、日本の女子教育の後進性を見た当時の外人宣教師が、女学校の設立が急務と判断したのであろうか。



1869年(明治2年)、長崎から大阪にやってきた米国聖公会宣教師C.M.ウイリアムス主教は川口の地に移住し、1870年、英学講義所を開校するとともに英語による礼拝を始めている。これが大阪でのキリスト教宣教の最初であり、米国聖公会教会の第一歩で、1881年(明治14年)には早くも川口基督教会が設立されている。




その32年後となる1913年の大阪パノラマ地図には、川口基督教会と思われる建物が描かれているが、当時の教会には未だ塔は見られない。

1920年(大正9年)、現在の礼拝堂が建設されたとされているが、教会の定礎石には「日本聖公会 川口基督教会聖堂 1919年」とあるので、完成の前年に嵌め込まれたのであろう。



大阪に残る大正期の貴重な建物である川口基督教会は、1950年(昭和25年)に大阪教区主教座聖堂となったが、1995年の阪神・淡路大震災で教塔が倒れ、礼拝堂も被害を受けている。しかし、教会建築を得意とする一粒社ヴォーリズ設計事務所の協力で1998年に復興され、現存する唯一の居留地建築の保存がかなっている。

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