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  • 執筆者の写真川口建

明治の新聞記事から五代友厚を読む #002

神戸事件

朝廷の命令で、摂津西宮の警備に向かう備前藩家老日置忠尚率いる藩兵の行列が三宮神社の前に差しかかたときに、行列を横切ろうとしたフランス人との争いから生じた事件である。(1月11日午後1時過ぎ)

備前藩砲術隊長・瀧善三郎はフランス兵が短銃を向けたことにより、隊員に「鉄砲、鉄砲」と叫んだことが隊員は発砲命令と聞き違え威嚇発砲をした。その時備前兵士とフランス側とで小競り合いがあったが幸いケガ人は双方に出たが、死者はなかった。

フランス側は幕府を支援してきた関係で新政府を揺さぶるつもりがあったのか?日本国の謝罪と発砲を命じた士官の死罪を強く要求してきた。新政府側は発足間際であり新政府の威信をかけ早期決着を決断した。

その中で、備前藩側、また瀧善三郎の落ち度はないと信ずる考えは、これらの動乱期の犠牲になったと考えられる。

五代はこれ等のことをよく理解しており、武士として名誉となる(斬首でなく)切腹で折衝、また切腹の間際までフランス公使パークスと助命の折衝をした。(2月9日)

フランス側は一旦は朝廷が決定したこと、この決定に外国人がさしはさむことはできないと回答され、五代の助命への努力は実らなかった。

尚、五代は宇和島藩主の代理で切腹の場に立ち会う。



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