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  • 執筆者の写真川口建

明治の新聞記事から五代友厚を読む #013

新聞社関連追記

ずいぶん多くの新聞が発行されていたことが驚きです。政治的な主張、その他業界紙の広報が頻繁に行われていたことが伺われます。

実は五代友厚も新聞の広報機能に注目し自らの新聞の発行、会社発足発起人などに多くかかわっていました。

印刷事業の大阪活版所で関わった吉田宗三郎を発行人として1871年(明治4年)に「大阪府日報」を創刊、以降「大阪日報」「大阪新報」へと変遷し五代系の機関紙となった。しかし北海道官有物払下事件(明治14年)を機に内部分裂、五代系の人脈はこの新聞社からさり改進党系の新聞になった。尚、大阪新報は紆余曲折を経て大阪毎日新聞となり現在の全国紙毎日新聞となっている。

因みに福沢諭吉が「時事新報」を創刊したのが1882年(明治15年)であることを考えると、如何に五代が新聞の持つ広報機能に早く着目し実行したかがわかります。





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