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五代友厚名言集

晩年のことば

 

『小成に安むずることは余の意に非らず。また徒らに富を為すも余の欲するところに非らず。男子一度世に処す無為にして終るは深く恥づる所なり。余は生涯決して安逸愉楽を希望せず。且つ天下の貨財は決して之を私すべきものに非ず。能く聚め・能く散じ・自ら利すると共に人を益してこそ始めて意義あり。余は仮令失敗して産を空くするも国家国民を幸福ならしむることを得ば即ち以て余が望み足れりとなすのみ』

五代友厚は常に進取的であったが、晩年友人が「これからは守成の安全の道をとれ」と忠告したときのことばです。五代はこのことばをいい、笑っていたと伝えられます。

五代はすでに一方において富を大にしていましたが、他方で負債もまた決して少なくありませんでした。

まさにこのことばは、五代の起業家人生そのものをいい表しているといえます。

大隈重信への「短所5ヶ条」の忠告書

 

(1条)あなたは1を聞いて10を知るほど賢いけれど、たとえ愚説愚論だと思っても、人の話は最  

           後まできっちりと聞いてあげてください。

(2条)あなたの部下の人の意見とあなたの意見とが大同小異の場合には、常にその者の意見を誉

           めて、それを採用してください。そうでなければあなたの徳を広めることはできません。

(3条)怒気、怒声を慎んでください。人の上に立つ人が怒鳴っては見苦しいもので、あなたの徳

           性を失います。

(4条)会議や話し合いでは、参加している多数の人の意見がおよそ固まった時まで待ってあなた

           が決断してください。そうすればあなたの決断に対し皆さんの協力が得られるでしょう。

(5条)あなたがある人を嫌えば、その人もあなたを嫌うでしょう。それ故、自分の好まぬ人にこ

           そ、丁重に真心で親しく交際を広めてください。

当時大隈は大蔵卿として政府の財政権を掌握していたが、独断専行のきらいがあり世の誤解を招いていたし、島津久光などは政府に建言し大隈を罷免しない間は参朝せずとまで言っていた。大隈に辞意あり、大久保は頭の痛い時期でもあった。その大久保の意を受け五代が大隈に忠告書を送って説得し、辞意を思いとどまらせた。

五代が官を辞して野に下ったとき、小松帯刀、大久保利通にその決意を語った

 

『今政府においては、幾多の人材を擁するも、民間にはその人なし、余は今より冠を抂げて民間に下り、国家的見地に立って、一般商工業を鼓舞奨励して、わが国、民業の振興を図り、以て国家国民の富強に努めんとす』

官を辞し野に下ったのち、再官要請に応じなかった時の決意

 

『男子一度決心せし上は、仮令朝命なりとも、志を翻し難し、わが国に生まれ、わが国を思わざるにあらず、また尽くすべきところこれ有り、自ら報国の志をも相立つる心得に候御安心相成度候』

政府は五代の非凡の才能を惜しみ、再び官途に就かしめようとし、西郷従道、川村純義らが斡旋に努力したが、初志を曲げず遂に応じなかった。当時、有川十右衛門宛て書簡の中に左記のことばが記されている。断固たる決意を示し、五代の産業報国に深く根差していることがわかる。

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