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  • 執筆者の写真川口建

藍の花と朝陽館

以前(2020.10.12)、奈良五條市方面に友人たちとランチ会に出かけた。余中、道の駅で「藍の花」を売っているのを見て、ついつい買ってみた。

明治9年、五代友厚が大阪中之島に製藍業「朝陽館」を設立し、事業を推進した。最盛期には大きな煙突から黒い煙が黙々と空に上がり、大阪近代化の先駆け的事業であった。

明治の初頭、国産の藍はインド藍に圧されるのを危惧し、且つ藍を世界の商品にするため、政府から50万円を借り受け開始した。徳島に粗製工場を設けるなどして藍の原料となる藍玉を、阿波のみならず全国各地から集積し、蒸気機関を動力とする最新設備を導入し、国家的な規模を誇る大事業であった。明治天皇も行幸され、これまでの努力と将来への富国を期待しねぎらわれたようです。しかしながら、流通の複雑さと新製法の浸透が拡大せず、短期間で解散に追い込まれた。(明治15年) また、後には更なる工業化の流れの中有機化学工業が主流となり、インド藍も日本の藍もすたれていく流れとなった。

五代の藍事業に関係する明治の新聞を読むと、その流れが読み取れます。大金を投じ日本の藍事業を守る事、また技術革新を推進する必要性を世に知らしめたこの志は、現在に引き継がれているのではと思います。






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