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  • 執筆者の写真川口建

三浦春馬➡著書『日本製』➡五代友厚➡映画『天外者』の縁

三浦春馬さん主演映画『天外者』が2020年12月11日に公開された。

また、先駆けて三浦春馬さんの著書『日本製』が出版され、読者・ファンの方々で人気となっている。

『日本製』は2015年9月鹿児島県取材訪問から始まり、ほぼ4年をかけ2019年の夏頃まで続き、47都道府県を回り完結した。本を読んでみると、各県の訪問時期は三浦春馬が映画『天外者』のオファーのない時期にもかかわらず、三浦春馬・日本製・五代友厚・天外者との関連性というか、因縁が大いにあるように感じました。

私見ではありますが、共通する事項を5点あげてみました。

 

その一つは、『日本製』の記念すべき第1回訪問先は鹿児島県(五代友厚の出身地)であり、且つ種子島宇宙センターであったことです。この地は五代友厚の曾孫である五代富文氏が1982年から数年間H-Ⅱロケット開発に携わり、以降も日本の宇宙学会で要職に就かれていることです。(著書「世界のロケット」)


二つ目は、2017年徳島県で数多くある産業の中、藍染めの製造を訪問されていることです。五代は1869年33歳で官から民に下野し、国を豊かにすることが第一であると民間企業振興に邁進していました。金銀分析所、鉱山業で得た資金を最初に投下した民営大事業が製藍業で、大阪中之島に朝陽館を創設しました(明治天皇が行幸されている) 当時の日本藍は品質粗悪で、インド藍に押され苦境に立たされていました。大きな産地である阿波の製藍業も当然その中に巻き込まれていました。五代は外国の技術も取り入れ、品質向上に努力し、明治10年には内国博覧会龍紋褒賞之証状を授与されたほどです。


三つ目は、『日本製』ということです。五代の大阪経済を復興させた手法には、外国の近代化合理性一辺倒でなく、民間の祖業を大切にし、それをいかに改善して全員が豊かになる事を念頭に置き、事業や、組織改革、ルールつくりを進めてきたことです。まさに現場主義、日本製を作り上げる事でした。


四つ目は、『日本製』の中に、三浦春馬が考える『未来』『継承』と、今回の映画『天外者』の『実もいらぬ、名もいらぬ、ただ未来へ』『地位か 名誉か 金か、いや、大切なのは目的だ』という考え方が一致していると考えています。


最後五つ目は、著書の中に『・・・「墓前祭でごあいさつをお願いします」と言われた時にも、臆することなく皆さんの前でしっかりと想いを伝えることができました。大したことはいえませんでしたが、主役として関わってくださる皆様にきちんとご挨拶したいという気持ちが整っていたからだと思いますし、それはやっぱり年を重ねてきたところも大きいのかなと思いますね。一方で年齢というのはある種、記号的な部分もあるので、年齢にとらわれ過ぎるよりもどんなふうに1年を生きたかが大事だとも思っています。とにかく五代さんを演じた期間はとても充実していたし、三浦春馬という俳優としても、ひとりの男性としてもベストを尽くすことが出来たと胸を張って言える作品になりました。・・・』

今思えば、『日本製』を通した三浦春馬の人生は、五代友厚の生涯と重なるような気がします。








川口建作成


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