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  • 執筆者の写真川口建

五代友厚展・図録(14) 天和銅山


a14-1天和銅山
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五代は民間人となり最初の事業は、明治新政府の新貨幣製造の地金の供給を目的とした金銀分析所の開設である。しかし、造幣寮からの地金の需要が増大し、この状況を打開するため手を打ったのが鉱山事業であった。その最初に手掛けたのが大和国(現・奈良県)の天和銅山で、赤倉銅山、栃尾銅山など次々と全国の鉱山採掘に着手していった。

尚、奈良は妻豊子の出身地でもある。




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