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  • 執筆者の写真川口建

薩摩・島津家と大阪・住吉大社

更新日:2022年2月13日

2022年2月9日住吉大社参拝。数十年来の参拝で色々勉強になりました。お正月中には200万人以上の参詣者が訪れるようですが、当日は空いていました。


島津家といえば幕末・維新期の28代藩主斉彬、29代藩主久光が登場しますが、特に斉彬は革新的な思想の持ち主として国内で得られる知識を中心にして近代産業化の推進を図り国内でも稀有な藩主でした。一方、五代友厚は斉彬の考え方を継承した第一人者といっても過言ではないでしょうか。広く世界に知識を求め日本の公益を考え一歩進化した近代化を具現化しました。そして大阪を基盤として矢継ぎ早に近代化の種をまき、大阪の経済のみならず日本の経済の基盤を創り上げたのです。


さて、島津家と住吉大社に戻り、その関わりですが、住吉大社には有名な反橋(そりはし)、通称「太鼓橋」があります。その畔に「誕生石」があり、薩摩藩主島津氏の祖島津忠久誕生のところと伝えられています。

以下「誕生石」説明碑抜粋(全文は添付写真参照)

「丹後局は源頼朝の寵愛を受けて懐妊したが、北条政子により捕らえられ殺害されるところを、家臣の本田次郎親経によって難を逃れ、摂津住吉に至った。・・・(略)・・・社頭に至った時には局が産気づいた。・・・(略)・・・局は傍らの大石を抱いて男児を出産した。・・・(略)・・・源頼朝は本田次郎を賞し、若宮に成長した男児は後に薩摩・大隅二ヶ国を当てられた。これが島津氏の初代・島津三郎忠久公である。・・・(略)」


この地は島津家代々の信仰が厚く、丹後の局の伝説により安産を祈る生地となっています。なお、現在放映中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」と合致する時代です。




住吉大社の創建は摂政11年(211年)、神功皇后が住吉大神の御神託によりこの地に御鎮座された。約1800年前のことです。後に皇后の御孫、仁徳天皇が浪速に遷都されて墨江の津を開港せられ、後に大阪、堺の発展をもたらした。

同社は由緒の深い摂津国一の宮として聞こえ高く、昭和21年まで官幣大社とし、全国二千あまりに及ぶ住吉神社の総本宮である。また、海上安全の守護神であり、産業商業・文化・貿易の祖神と仰がれている。

住吉大社は反橋(太鼓橋)が有名で、現在の石の橋脚は慶長年間淀君が奉納したものと伝えられています。








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